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【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)

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日本近代史 (ちくま新書)

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それでも、日本人は「戦争」を選んだ

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それでも、日本人は「戦争」を選んだ

日本人の戦争反省に疑問を持ち、手にした一冊
イギリスの高校で歴史を学んだ子供は、1年間をかけてナチスについて学んだ。イギリスの近代史を学ぶ上で、最も影響があったのがドイツの歴史ということなのだろう。それにしても、日本の高校の歴史の授業とは違いすぎる。イギリスだってストーンヘンジのような古代があり、ローマが侵攻してきた時代があり、中世のフランスやスペインとの戦争がある。それらはドラマ(演劇)や美術の授業で触れるが、歴史の授業では徹底して近代を学ぶのだ。確かに、現代を語るのに、今後を語るのに、第一次大戦、第二次大戦は避けて通れない。その中心がドイツの歴史だ。子供のイギリスの学校にはドイツからの留学生も多い。クラスの中の2割、3割がドイツ人ということもある。

中国から日本の歴史の教科書がよく避難されるが、日本では外国の立場を教えていない。世界の国それぞれに事情があり、思惑がある。それが各国の歴史なのだ。それに対して日本が、日本の政府が、軍が、一般大衆がどのように反応し、対応してきたのか、深く考えさせられる授業が加藤先生の視点である。平易な解説がぐんぐん読ませる。

坂の上の雲の副読本として
私は今まで”なぜ太平洋戦争が開始したのか”わかりませんでした。教科書では事実を書いてあるだけでその時の空気が伝わってこないためもやもやとした気分でいました。そんな時この本のタイトルを見てなにかわかるような気がして読んでみました。
中高生向けに書かれた(講演)内容なので非常に読みやすくなっています。
太平洋戦争が始まりは明治の征韓論少し前から開始しております。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、パリ・ワシントン軍縮会議、国際連盟、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などその”時々”の状況に日本が対処してきたことが読んでいくうちに表面的な事実でなくもう少し深掘りした情報を織り交ぜながらその”時々”当時の社会の空気がわかってきました。当時の政治家たちがいかに優秀で国際社会の日本の位置付けをしっかりかじ取りをしてきて、そして誤った道(?)へすすめてしまった。その反省をもとに戦争を知らない世代の私たちがきちんと向き合う一冊だと思います。また、それは現在の国際協調に通ずるものがありアメリカ、中国、イギリスなど各国と付き合う上で必要な過去の背景を知っておく必要があります。
それとNHKで始まる坂の上の雲を見る際にあらかじめ読んでおくとその時の世界情勢がわかるためお役に立つと思います。


興味深く真摯だが、経済要因への目配りが不足
日清戦争から日中・太平洋戦争まで一気に読んだ。
当時の為政者や軍幹部が、国民の意識と呼応しながら
どのような意識で戦争への道を選択していったのか、
はじめて知ることも多かった。
しかし、加藤は結局、利益を求めて植民地獲得を続けた欧米と違って
日本は戦略的見地から植民地を獲得していったという(よくある)視点に立っており、
高岩仁が戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告で書いたような
経済システムという要因への配慮があまりに少ないのが気になる。
これは加藤が経済史家ではないために経済史料への読み込みが少ないためだろう。
たとえば加藤の本では、大陸進出を支えた三井物産などの財閥が
軍や政府への協力者として登場するが、財閥の方に資源や市場獲得のための
領土拡張への強い欲求があって軍や政府をたきつけた側面があったのではないか。
あるいは、政党政治を脅かす外部要因として言及される5・15や2・26事件の
青年将校たちを、高岩が書くように裏で財閥が後押ししていたとすれば
本当に糸を引いている者がだれだったのか、事態の見え方は一変する。
研究者ではない高岩の本は論証も不十分でデータの出典もあいまいなところの多い小冊子だが、
本質的な洞察を含んでおり、ぜひ加藤の本と併読されることをおすすめしたい。

国民も 『欲』 が深かった!
■ 【わかりやすく、読み甲斐ある内容です。】
高校生相手の特別講義をベースに、わかりやすく、易しく、
かつ、レベルのある内容だと思います。内容は、明治以降
の戦争で、「国体」解体される第二次世界大戦までです。

■ 【産業革命後の欲深き人々  】
産業革命後、増大した生産物の販路と求め、欧米諸国は海
外に領土拡大。黒船来日等で、日本も封建社会の江戸から
明治へと社会変革を求められました。西欧に追いつき追い
越せとの富国強兵の国策により、やがてわが国も上昇した
生産物を売りさばく販路を、遅ればせながら、海外に求めた
訳です。日清戦争、日露戦争、第一次大戦参戦となり、その
時点の日本の領土は、当時の敗戦国ドイツからいただいた
グァム、サイパンをはじめ、カムチャッカ半島、朝鮮半島から
台湾その他中国東北部の一部までの範囲だったようです。

■ 【欲深き人の大義名分】
更に、「欲を出し」中国市場の安易な拡大に手を出しました。
しかし、そこで手痛い反撃を受け「匪賊征伐」などと称し、彼
の地の人々を殺傷っしていったのです。しかも、これは戦争
では無いとして、国際法を無視した滅茶苦茶な行動を行い
ました。2001年9月にニューヨークの世界貿易センタービル
が、同時多発テロで崩壊、「新たな戦争だ!」と、戦争を始
め、一国の大統領を断罪した米国との共通点を著者は、指
摘しています。「邪悪な犯罪を取締る立場から、国民の戦意
高揚を高め、」戦争に突入していった大義名分は、まるで、
かっての日本と同じではないかと。

■ 【欲深き人の業】
想像を超える、捉え処の無い『強欲さ』が、人々を刺激し、メ
ディア一体となって戦争に突き進んでいます。近年、この
「強欲さ」が強欲資本主義をリードし、挙句、リーマンショック
など不況のやり玉に挙がっております。正に、『欲深さ』の人
間の業とどうむきあうのか?欲浅き人をも不幸に引きずり込
む戦争を通し、日本の近代史を学ばせて頂きました。


久しぶりに、出会えた真面な本の一冊。若き人にも年輩の方も、是非お読みになり、著者の戦争に関する解釈を知るべきと思います。
これは、著者が実際に中高生へ講義したものがもとになっている。しかし、単なる一方的な研究者としての新しい考えを教えるという形式をとらず、生徒(聴き手)に対し問いかけをすることにより、聴き手も講義の一員となる、対話形式。それを巧みにリードしていくのが著者の役割。この形式は別に新しいものではなく、分野を問わずに実施されている、優秀な教師と少数の優れた学生(あるいは生徒)の場合には昔から実行されている。この著書の場合は成功した例であろう。日本の明治維新以降の戦争に対する著者の考えを、生徒という若き触媒の存在を用いながら良く記述していると思います。この著書では歴史研究部の生徒の存在が大きいのです。これは、読む価値充分の本です。お薦め!

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

私たちの失った慕わしい世界
古い日本を目撃した多くの外国人の証言に触れられると思い読んでみた。期待以上の成果に驚いている。今や暗い江戸の農民のイメージはあとかたもなく、かわりに陽気で人好きのする幸福そうな人々が美しい自然の中でおおらかに暮らしている様がいきいきと浮かんでくる。分厚い評論なのに、第一章がやや難解だっただけで、あとはすっかり引き込まれてしまった。渡辺氏の美しい文章で滅亡した古い日本の文明を追体験できた事は幸せだった。
私たちが今伝統とよんでいる茶の湯や生け花などの事象は、「若き日本」を構成する「新たな寄木細工の一部分として、現代文明的な意味関連のうちに存在せしめられているに過ぎない」。「死んだのは文明であり、それが培った心性である。民族の特性は新たな文明の装いをつけて性懲りもなく再現するが、いったん死に絶えた心性はふたたび戻っては来ない。たとえば昔の日本人の表情を飾ったあのほほえみは、それを生んだ古い心性とともに、永久に消え去ったのである」。渡辺氏はこうした表現で、現代の日本の文明が、近代以前の文明の変容ではなく、滅亡の後に生まれたものだと主張する。古い日本の扼殺と葬送の上に近代のドラマは始まった。これは歴史の必然である。近代化は独立と繁栄を支えた。現代の日本人は先進国の一員であり、豊かさと便利さと自由を手にしたはずなのに、古い文明に生きた江戸の人々ほど幸福でないのはどうしたことだろうか。
当時日本の庶民世界に惚れ込んだ西洋人たちは、西欧的な心の垣根の高さに疲れていた。「確乎たる個の自覚を抱くことがそれほどよいことであったか」、幸福とは時に進歩とは逆の方向にあるのかもしれない。心の垣根を高くした私たちは、かつての日本文明に触れることで戻れない道に置いて来た忘れ物を見つけられるのかもしれない。

ポストモダンは日本人のDNAにあった!
ある種センチメンタルというかポエティックというか小説のようなタイトルの書物だけど、どっこい骨太な600ページにもおよぶ近代批判の思想エッセイ。

といってもご心配なく。

難しい思想をこねくりまわすポストモダンの思想書とはまったくおもむきを異にする、具体的に美しい世界が目に見えるように展開していく快感の書です♪

日本人であることのDNAがざわめきます。

ここで展開される情報の海は、決して回顧趣味的なノスタルジーに浸って癒される、という類のものではありません。現代に生きるボクらのスピリットが触発され未来へと放たれる力をもった、超具体的な情報の集積であると断言しておきましょう。

歴史を学ぶとはいたずらに過去を顧みることではありません。

歴史とは ”いま” を生きる意識レベルに応じ写し出される ”鏡” そのものであり、その意味では通時的な ”かつて” ではなく共時的な ”いま” でしかないわけです。

そういう意識でもって読んで欲しい本です。

江戸末期から明治にかけての激動期に失われたものの本質がこのように語られ、そしてそのことを素直に学べるようになったということは、ようやくボクらの精神が近現代社会という重いマトリクスから抜け出したことの証しなわけです。

先ずは日本人から。

そう、”ポストモダン”というのは決してヨーロッパの特権的難解思想の果てにあるモノなんぞではなくて、そもそも日本人のDNAにこそあったわけです。

意外なエピソードに満ちた幕末・明治の日本
幕末・明治期の欧米人による日本見聞録の多くに、日本人は社交的で機嫌よく少々子どもっぽいが幸せそうに見えると著されているという。いずれも現在の日本人とは正反対に思えるくらい意外なものだ。そして欧米人の数ある驚きのなかでも最大のものは、物質的には最低限しか所有していないように見える一般庶民が、簡素ながら清潔で美的センスに彩られた彼らの日常生活にすっかり満足して幸福そうに見えることだったという。

著者は付和雷同しやすい等、現在も変わらない個々の性向はあるにしても、それらの総体としての江戸期日本に特有の文明は既に滅びていて、本書の目的はそれを豊富な史料を使って追体験することだという。実際本書の魅力は、日本見聞録から引用された数多くの意外なエピソードだ。例えば、一般庶民の外国人に対する好奇心は度を越していたようで「トージン、バカ」とはやしたり、所かまわず寝室まで覗き見るなど無神経の域に達していたというのには笑った。「まるで体操のように、息をシューシューいわせながら、手を膝から足まで下げるお辞儀を繰り返した後、その姿勢のままで長い口上を早口で述べ合う」という当時の挨拶風景は、まるでイスラム教徒の礼拝のようだ。「来日した西洋人を仰天させた習俗に、公然たる裸体と混浴の習慣があったことは広く知られている」なんて知らなかった。

少し物足りなかったのは、体を動かすよりも声を合わせて歌う時間のほうが長い肉体労働の仕方は欧米ではあり得ないといった類の記述について、この種の感想は市場経済の浸透度の高い社会に属する人間が、それが低い社会を観察した場合に普遍的に感じること(例えば現代の日本人が発展途上国に旅行した際の感覚と同じ)だと思う。日本見聞録に描かれた現象が、前工業化社会なら世界共通して観察できる普遍的な現象なのか、それとも江戸期日本に特殊な現象なのかが、より意識的に分別されていればよかったと思う。

何度も読み返したい
「地域をデザインする―フラードームの窓から見た持続可能な社会(駒宮博男著)」で紹介されているので読んだ。渡辺京二氏は繰返し「私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ(外国人の残した記録を通じて)ひとつの滅んだ(江戸時代後期に完成された)文明の諸相を追体験することにある」と学者らしく述べている。それは確かに正しいのだろうが、私をはじめほとんどの読者は愛惜と追慕を強烈に感じながら追体験し、決してこの文明は滅んではいないのだと密かに思っているはずである。著者の意図には反するのだろうが、そんな読み方でも全く構わないと思わせるような本である。繰返し読み続けたい。」

本当に逝ってしまったのか?
ずっとずっと、もやもやと疑問に思っていた事が、この本を読んで氷解した。
平成のこの現在、わが国は世界一の借金国となり国家破産寸前の様相である。
外交も国策も何も変革すらされず、事態は悪くなるばかり、なのに・・なのに
国民のこの危機感の無さ、デモひとつ暴動すら起こらぬ平穏さは何だ?
戦後、戦勝国を恨むことを一切せず、尊敬や憧れまで抱き親密に付き合い
敵国を一切想定せずにひたすらに働き汗して平和国家を築いてきた日本。
その本質的根底には渡辺氏の言う失われた「独特の国民性」が脈々と
流れているのではないだろうか?
庶民にすれば「すべてはお上のやった事」または「やってる事」なんではないか?
戦争に負けたのも「お上」破産しそうなのも「お上」我関せずじゃないのか?
この逝ってしまったと思われている愉快で明るい楽園の住人たちは、実は
たいして変わらぬ心情で今もこの国の大半を占めているのではないか?
熊さん八っつぁんの笑いは今も生き続け、寅さんの気楽さは理想とされて
TVの中はお笑いに占領されて、政治家や役人のスキャンダルは庶民の娯楽となり
飲んで歌ってブランド品集めが大好きで、国がどうあれ楽しく生きてりゃ
それで充分!そんな世相は相変わらずのわが国ではないだろうか?
今だ外国人からみれば充分に不思議な国として存在している気がする。
現代日本にずっとずっと違和感を抱きながらも、なんとなく気楽に生きてしまった
自分の中のDNAを再発見させられたような一冊であった。
自分の中にある何か不思議な「正体」が解ったような気がして、うれしくなった。

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