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私の男

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私の男

インモラルとは?
インモラルな表現、現象はいまコミック・小説や映画から実際の事件までどこにでもすぐ見つかる時代だ。文学はインモラルなものに対し究極の局面でどう対峙しようとしているかが作品の価値のわかれめであろう。
ぞくりとする表現、ダークな雰囲気が濃厚なこの小説のどこに本当の真剣さがあるのか、これまでの著者の作品とともに考えてみても、いまだにピンとこない。
北海道、近親者間の愛憎、流氷、地震・・そのモチーフをつかった作品にいわずもがな三浦綾子氏の傑作『氷点』があるが、宗教さえ超えるような人間のモラルとの戦いの極限状況が描かれる著者の真剣さと比較して考えてみると、ライトノベルでストーリー作成のパターンを覚えた書き手が、「直木賞」を意識した一般文芸の舞台でその手法を巧みに踏襲したものにすぎないかもしれないという危惧をいだいてしまった。
エンタテインメント作品として水準は高いとは思いますが・・。


<闇>の中に<闇>なし
何という本だろう。
<闇>の中に<闇>はないということでしょうか。
人間の掟やモラルが一切関わりない、二人の強い関係をどう読めばいいのでしょう?

物語は、華やかであるべき結婚式から始まります。
でも、この花嫁は後ろ髪をひかれているような、いないような奇妙な感覚に捉えられています。「けっこん、おめでとう」と語るその義父も離れがたい何かを持っているようです。

小説は、そこから時間を遡っていきます。語り手も章ごとに入れ替わります。日本語の三つの形態(ひらがな、カタカナ、漢字)を巧みに使い分けて、語られてゆきます。
そして、章が進むに連れて、二人の持っている過去の問題の謎が徐々に明らかになって行きます。
二人の見つめるものは、北の黒い海です。
二人の魂は絶望的に絡み合い、二人を同一化しているのは肉欲のみでなく、存在そのものにもかかわってしまっています。

最後まで読み終わり最初に立ち戻った時、二人の将来が見えてくるように思います。

勝手な大人のお話
装丁が印象的で購入。なかなか読む時間がとれずにいたら直木賞受賞。
これは早く読まなければと2日で読みあげました。

禁じられた関係、近親相姦が大きなテーマですが、とどのつまり自分勝手な人たちがこれでもかと出てくるのです。陰湿なテーマを演出するために「北の町」、人間らしさをなくした生活の場を「拘置所そば」と設定するのはあまり好きではなかったです。好きになれない親を持っていたら何をしてもいいのかとも思いました。たぶん花はしあわせにはなれないでしょう。



間違っていると思うのになぜ間違っているかは分からない
 人もうらやむ結婚をした花。それなのに、その目は、その心は、養父である淳悟を求めてしまう。憎しみをはらみながらも。なぜ、ここに行き着いたのか、この結末は必然だったのか。この原因を手探りするように、少しずつ二人の歴史を遡っていく。
 突然断ち切られた想いをどうすればよいのか。行き場をなくした愛はどこを目指せば良いのか。読み進めて行く内に、そんなことを考えさせられる。
 人知を超越する自然の力により崩された関係性を、人間がどう構築しなおすか。そのときに、誤ったピースを組み合わせてしまうこともあるかも知れない。枠外にいる人間は、それを間違っているというだろう。しかし、枠の中に他にピースがなければ、そうするしかないことだってあるのだ、きっと。

 サムシング・フォー。結婚式でこの4つを花嫁が身に着ければ幸せになれるという風習。この一つである古びたカメラが思い起こさせる罪と愛の物語。

好きな作品です
汚らわしい事に思えず、物悲しく感じさせる二人の行為は、深く深く底なし沼のように底が見えないの。
題名もさることながら表装も力を抜いてません。
新書の時の桜庭一樹は、スゴイ←ラノベも凄いけど
歴々の女性作家群の中からぬきんでた力作だと思うワ。
少女七竃と七人の可愛そうな大人が静で私の男が動に思えるほどの暗い海のうねりが感じられる作品です。


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