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男道

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男道

プロローグから号泣
清原がジャイアンツを解雇されオリックスに入団した際は、その身体で一体どこまでやるのかなぁ・・・と不安になったものだが、
そこに秘められていた清原自信の思いがここに赤裸々に綴られている。

「子供っぽいと言われようが、それが自分の生き方」と、2004年オフに巨人の球団事務所に自身の進退について直談判しに行った際のすったもんだの真実、
そして2005年の解雇と、故・仰木監督の熱意によってオリックスに入団した経緯・・・プロローグでもう既に涙が止まらなくなってしまった。

本編の小学生時代の章では、彼が真っ向勝負に拘るそのルーツや、美しく大きくホームランを打つことへの並々ならぬ拘りが詳細に語られる。
彼が目指していたものははなっから人とはかけ離れ過ぎていたのかもしれない、そう思わざるを得なかった。

現役時代のエピソードはまだまだ沢山あるだろうが、ジャイアンツ時代は殆ど辛かった思い出ばかりが語られていて胸が痛んだ。
しかし、長嶋さんのことについて「プロ野球の根本を知り抜いていた」と賞賛していたのにはなぜか嬉しくなった。
天才同士がゆえに分かり合える点があったのかもしれない。
原監督のことに関しては一切触れていないが、それも聞いてみたい気がする。
一冊の本では到底語りきれないほどの壮絶な野球人生を歩んできた清原の自伝、ファンは間違いなく読む価値があるだろう。


最後まで戦う姿勢が感動しました。
良い部分しか書かかれていないような気もしましたが、世紀の大打者の自伝はやはり、参考になることが多いです。膝を痛めてからの苦闘が胸を打ちました。一度野球の世界で昇りつめた選手が、ボロボロになりながらも、その姿をさらけだし、燃え尽きるまで、野球をした清原選手に感動しました。

感動しました。
一気に完読しました。
清原選手を周りから温かく支えあった人達と清原選手の『男道』

感動しました。


表紙の写真も…
バットを23年間握りしめていた生きざまが見て取れました。

本当に23年間お疲れさまでした。

またユニフォーム姿で私たちの前で『漢』を見せてください

王選手のホームラン記録を破る素質を持ちながら、「生涯無冠」に終わった謎を読み解く鍵がある1冊!
高校球界最強打者として数々の伝説を打ち立てた清原和博選手の自伝。

読んで感じるのは、マスコミが報道する彼のイメージと実像との間にいかに隔たりがあるのかということと、意外なまでの彼の文章力である。

やんちゃな悪ガキだった少年時代。両親からの愛情溢れる教育。
野球への興味から、幾人かの恩師との出会いによりその素質を開花させたリトルリーグ時代。
そして奈良の天理高校に入学するはずだったのだが、はずみで入学した大阪のPL学園で生涯の親友にしてライバルの桑田真澄投手と出会い、2人で高校球界に旋風を巻き起こすことになる・・。

そこまでは、苦しい練習はあっても順風満帆な人生。
しかし、「ドラフト」という大人の制度が18歳の少年の心を深く傷付けることになる。
指名されての入団を信じて疑わなかった巨人軍から指名を受けられず、しかもなぜか早稲田大学進学を決めていた親友の桑田が巨人に指名され、2人の友情に大きなヒビが入る。
最初にして最大ともいうべき「大きな挫折」だった・・・・・。
その悔しさを糧にして西武ライオンズに入団した後の大活躍。
だが、本当の試練はFA宣言して巨人に入団した後からやってきた。

清原選手の素質は確かに出色のものであることは誰の目にも明らかであったでしょうし、王選手すら成し遂げない入団1年目での31本塁打という成績がどれほど凄いかは言うまでもないです。

が、だからこそ不思議に思うのです。
彼は通算成績で500本塁打、1500打点を超える成績を残した超一流打者でありながら、只の一度もホームラン王・打点王・首位打者などのタイトルは獲得出来ませんでした。
この本を読むとその原因が行間から見えてくるように感じます。

1.西武時代にあまりにも大切にされすぎて、甘やかされた面があった。(特に堤オーナー)
2.FA宣言して入団する球団を間違えた。(巨人は彼を使い捨ての商品扱いしかしない)
3.同時期に活躍する選手に優良な外国人選手らライバルが多かった。
4.肉体改造が裏目に出て、選手寿命を縮めることになった。
5.余りにも「大きな本塁打を打つこと」に固執し過ぎた。

ドラフト時の傷心の彼を西武は大切に扱ってくれ、常勝軍団とはいえ「パ・リーグの不人気球団」でのお山の大将にも等しい立場ではハングリー精神が薄れてしまうのも致し方ないところだろうか。シーズン40本塁打の壁を越えられそうで越えられなかったことの遠因が垣間見える。
その辺が同じ「怪物」と呼ばれ、希望球団に入団できなかったことを共通点としながらも、後に何回も本塁打王になり、シーズン50本塁打を達成した松井秀喜選手との差なのかもしれない。
本人も薄々、その事に気が付いてFA宣言することで野球選手としてより高いレベルで成長したいと考えていたことだろう。

が、入団したのは「巨人」である。確かに厳しい環境ではあったが、それはむしろ
「巨人という球団の持つ体質ともいうべきドライな人間関係の数々」
のほうで、清原選手はそちらのほうで心を悩まされることになる。

そして、晩年の選手としての致命傷ともいうべき「膝の故障」へと繋がることになったと思われるのが、巨人時代の肉体改造および打撃改造である。
本塁打の飛距離を伸ばしたい。誰よりも遠くへと打球を飛ばしたいという想い。
その少年のような憧れへの実現は彼の下半身に予想以上の負担を強いることになった・・。
西武時代からの不摂生のツケ。さらには強打者としての宿命ともいうべき死球の多さ、ケガの多さもそれに拍車を掛けたと思われる。

元・南海の門田選手が40歳を越えて尚、40本塁打を達成したように、また王選手・長嶋選手もそうだが超一流の選手はケガに強かった。身体の頑丈さはいうに及ばず、ケガの避け方そのものが上手かったのだと思う。

しかし、清原選手は死球に対しても避けるというより「むしろ向かっていく」ような意識・姿勢を崩さなかったため、結果として「余計なケガが増えた」ように思う。それは選手生活の晩年においてボディ・ブロウのようにダメージとして蓄積されて肉体を蝕んだ。

巨人を不振から解雇され、かつての栄光はもはや影も形もない。
親友の桑田も時を同じくして解雇され、米・大リーグに活路を見出そうともがいていた。
オリックス・仰木監督の男気に応えんと、自らの死に場所を求めての故郷・大阪への移籍。
度重なる手術と投薬によりもはや身体はボロボロだった。
満身創痍すらもとっくの昔に通り越して、ファンの心ない罵声すらバッターボックスで見返してやる余力はなかった。

かつて史上に類を見ないとも、空前絶後とも言われた天才打者の末路がこれほどの過酷な筆舌に尽くし難い茨の道であったとは信じ難い。

野球選手の引き際は大きく分けて2タイプだという。
「余力を残して舞台から去る」か、「ボロボロになるまでやり続ける」か。
彼は後者だった。

しかし・・・これほどまでに野球界の発展に貢献し、一時代を築いた彼に世間と球界幹部は冷たいものなのか。

本来は「善玉」「ヒーロー」であるはずの彼のイメージがマスコミの報道により「悪玉」「ヒール」の役にいつの間にかすり替えられてしまったことが最大の悲劇ではないだろうか。

868本塁打。ホントなら抜けたはずだ!

表紙は怖い。中身は温かい。
「清原が大好きだ」と公言する私は、この本を読まないわけにはいかん。
発売日に買わなかったのは様子見もあったからだが、今日本屋で購入しもう読み終えた。
書かれていることは、引退後のインタビューやそれまでのインタビューで話されていたことがほとんどであり、目新しいところはないように感じる。

が、清原がプロ入りが決まり上京の際、親父さんがポツリといった言葉のエピソードは泣けた。

「和博。俺はな、一生懸命働いて1日1万円や。それだけは心してプロに入ってくれよ。」

ここの言葉だけ抜き出されたらなんのこっちゃって思うかも知れませんが、知りたけりゃ読めばわかります。

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